2013年7月1日

もっと台湾ーcolumn 4


『な~るほど・ザ・台湾』(20132月号)
コラム【臺灣~繁体字の寶島】第5回
我的青春 我的FORMOSA Ⅰ・Ⅱ
「6年生の目覚め」



台湾では、「◯年級(nian2 ji2)」という中国語がよく使われる。学校の「◯年生」を意味するこの数え方で、世代を10年ごとに区別するのだ。ちなみに1971年生まれの筆者は「六年級(6年生)」である――そう民国60年代生まれ。

2000年以降の留学で知り合った台湾の友人も概ねこの「六年級」に属する。性格はともかく、話していてとりわけ違和感のない、同じ価値観を持つ“同級生”たちである。政治的発言に(党派、無党派はともかく)てらいがなく、たまにピクニックに出かけるくらい気楽にデモに参加するのが、「へぇ」っと思うくらいである。しかし彼らが子供だった頃、台湾はまだ戒厳令下にあり(1987年に廃止)、言論も選挙もまだ制限があったのだ。

しかし今の彼らを見ても、それがにわかには信じられない。(自由すぎる。)親しい友人がふと、初の直接選挙となる94年台北市長選で「自転車の選挙活動に参加したよ。懐かしいなぁ」と言ったことがあった。しかしそんな彼も今では立派なノンポリサラリーマンである。(投票へは普通に行くけど。) 正直、現在の同世代台湾人を見ていても、彼らが暮らしてきた1970-80年代の社会ムードや人々の考え方が(そこにいなかった日本人には)もひとつピンとこないのである。

それを知る手がかりのひとつが、『我的青春 我的FORMOSA Ⅰ縫上新舌頭・Ⅱ悪夢醒來 (わたしの青春、わたしのフォルモサ Ⅰ縫いつけられた新しい舌・Ⅱ悪夢から覚めて)』(無限出版、上下巻、2012年刊行)である。作者林莉菁(リン・リーチン)は1973年生まれで、まさに同じ「六年級」。本書は彼女の小学校から大学までの学生生活をセンチメンタルに振り返る自伝マンガだ。

屏東県で生まれ、「反共」「大陸反攻」を金科玉条とする小・中学校でずっと優等生だった彼女は、「偉大なる領袖、蒋介石」を信じながらどこかに違和感を持っていた。なにしろおばあちゃんは戦前から慣れ親しんだ日本の歌を口ずさみ、台湾語(方言)で喋るのだ。彼女はそれを恥に思った。でも先生の指導の通り正しい発音の中国語を話せば、近所の屋台のおっちゃんから「外省人の子け?」 と間違えられ、なぜか落ち込むのだった。(そもそも学校が「鬼」と教える日本人が描くマンガが大好きだった。)

国の敷いたレールに従って勉強に勤しみ、1991年台湾大学へ入学した彼女はようやく、正しいと教えられ続けた「中国」史の裏にある、真実としての台湾史を(「正しさ」の犠牲となった民主化運動家たちの悲劇を)知る。小学校以来「舌(言葉)」を通じて彼女を支配した悪夢からの目覚めであった。


『な〜るほど・ザ・台湾』(2013年2月号)掲載



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